「歩くFAQ」をやめる業務マニュアルの作り方
「すみません、ちょっといいですか?」
チャットにこの一言が届く。会議の合間に「あれ、どうやるんでしたっけ?」と声をかけられる。経費精算、承認フロー、Excelの更新手順……。質問の内容は毎回少しずつ違うが、それに応えているのはいつも自分だ。
こうした質問攻めに遭い続ける状態を「歩くFAQ」と呼ぶ。情報が文書ではなく、特定の誰かの頭の中に張り付いてしまっている状態だ。これを脱却するには業務マニュアルが必要だが、多くの人が「マニュアル作り」という高い壁を前に、結局挫折してしまう。
なぜマニュアル作りは挫折するのか
マニュアルを作ろうとする時、多くの人が「最初から完成版を作ろう」としてしまう。これが最大の罠だ。
「構成を考えなきゃ」「綺麗なキャプチャを撮らなきゃ」「誤解されない丁寧な文章を書かなきゃ」……。こうした「清書」から入ってしまうと、作業は膨大になり、完成する頃にはルールや画面が変わってしまう。結局、マニュアルを探すよりも人に聞いた方が早いという文化が残り、また「歩くFAQ」に戻ってしまうのだ。
目指すべきは、きれいなPDFを作ることではない。「次に同じ質問が来たときに、そのまま貼り付けて返せるメモ」を作ることだ。執筆ではなく、自分が口頭で説明している断片的な情報を、AIを使って「再利用可能な形」に変換する。その感覚を持つだけで、ハードルは目に見えて下がる。
AIに渡す「材料」の揃え方
いきなりAIに社内情報を入力するのは避けよう。まずは、AIが形を整えやすい「粗い材料」を準備する。ここで重要なのは、文章の綺麗さではなく「情報の粒度」だ。
まず、対象業務を1つに絞る。経費精算全体ではなく「交通費を月末に申請する手順」のように、一つの作業単位で切り出す。
次に、実際に聞かれた質問を3つほど拾っておく。「どこからログインするのか」「領収書は必要か」「差し戻されたらどうするか」といった、現場で実際に迷いが生じたポイントこそが、マニュアルに含めるべき核心だ。
最後に、情報の匿名化(伏せ字化)を行う。社名、人名、取引先名、金額、メールアドレス、顧客番号、社内URLなどは、そのまま入力しない。
- 社名 $\rightarrow$ A社
- 人名 $\rightarrow$ 山田
- 金額 $\rightarrow$ 9999
- URL $\rightarrow$ 社内システムURL
のように、ダミーの情報に置き換えておく。ただし、伏せれば万全というわけではない。外部AIへ入力してよい情報の範囲については、あらかじめ自社の規定を確認しておく必要がある。
用意するのは、音声入力の書き起こしでも、チャットの回答のコピーでも、箇条書きでも構わない。「ログイン」「申請メニュー」「月末まで」「1万円以上は理由を書く」といった断片的なメモで十分だ。
AIによる「変換」のプロセス
準備ができたら、以下の手順でAIにマニュアルへと整えさせる。
1. 初稿を作る
まずは、用意した断片的なメモを、以下の指示文(プロンプト)と共にAIに渡す。
以下は、社内業務の手順を説明するための断片メモです。
業務に慣れていない人が、ひとりで作業できる業務マニュアルに整えてください。
# 出力形式
1. 目的
2. 対象者
3. 作業前に必要なもの
4. 手順(番号付き。1手順1アクション)
5. よくある質問
6. 確認が必要な事項
# ルール
- メモにない内容は推測で埋めない
- 不明点は「確認が必要な事項」に分ける
- 固有名詞は、貼り付けた表記を勝手に言い換えない
- 手順は長文にせず、作業者が画面を見ながら実行できる粒度にする
# 断片メモ
【ここにダミー化したメモを貼る】
2. 修正を指示する
出てきたマニュアルをそのまま使わず、まずは一度読み込む。抜けている箇所や、AIが勝手に補完してしまった箇所に印を付ける。修正が必要な場合は、全文を書き直させるのではなく、修正点だけを指定して再度AIに渡す。
以下の業務マニュアルを修正してください。
# 出力形式
- 修正版の業務マニュアルだけをMarkdownで出力
- 見出し構成は維持する
- 変更した箇所は文中に印を付けない
# 追加ルール
- 「確認が必要な事項」にある内容を、推測で本文へ移動しない
- 判断が必要な場面は「担当者に確認」と書く
- 断定できない期限、金額、承認者名は作らない
# 修正したい点
【例:差し戻し時の連絡先を追加。1万円以上の理由欄の書き方をFAQへ追加】
# 現在のマニュアル
【AIが出した本文を貼る】
「読めるか」ではなく「実行できるか」で検品する
AIが作った文章は、一見すると非常に自然で整って見える。だからこそ、チェックの基準を「文章の巧拙」ではなく「作業の完遂」に置く必要がある。
具体的には、以下の3点を確認する。
- 手順の粒度は適切か:元のメモに10個の操作があるのに、手順が6行しかなければ、どこかで工程が省略されすぎている。
- 固有名詞は正確か:システム名、メニュー名、部署名、申請区分が、勝手に一般的な言葉へ置き換えられていないか。
- 数字と期限は一致しているか:金額や期限が、元メモと1つずつ照合して間違っていないか。
もし余裕があれば、業務を知らない人に1分だけ見てもらう。「最初にどこを開けばいいか」「迷ったときの確認先があるか」だけを確認する。ここで詰まるようなら、それはまだマニュアルとして機能していないということだ。
AIが「もっともらしい嘘」をついたときの対処法
AIは時として、指示していない内容を「それらしく」補完してしまうことがある。例えば、交通費申請の手順を渡した際、元メモにはない「上長承認後、経理部が3営業日以内に処理します」といった一文を勝手に追加してしまうようなケースだ。文章としては自然だが、実際の運用と異なれば、それは誤った情報になる。
こうした「AIによる勝手な補足」を防ぐには、指示文に以下のルールを徹底して書き込む。
- 「メモにない内容は推測で埋めない」
- 「不明な点は『確認が必要な事項』に分ける」
- 「判断が必要な場面は『担当者に確認』と書く」
AIは下書きを爆速で作ってくれるが、社内ルールの正しさを保証してくれるわけではない。人間が責任を持って見るべき場所は、常に「判断」「例外」「数字」「固有名詞」の4点である。
まずは「暫定版」から始める
完成度を求めて時間をかける必要はない。出来上がったものは共有ドキュメントやチャットのノートに「暫定版」として置き、使い始める。
次に質問されたときは、答える代わりにそのマニュアルのリンクを渡す。そして、もしマニュアルに足りない点があれば、その場で追記して更新していく。そうやって、実際の質問と回答を材料に育てていくマニュアルこそが、現場で最も役に立つものになる。